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HPで管理するのが色々と面倒になってきたので、 とりあえず作成。

双子狼は遊び好き。

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双子狼は遊び好き。



造られた者、ホムンクルス。
そんな通り名を持つ人工生物、
エンエル・ヌルが身をおく古代の遺跡街、
イデルが元生物研究所であったことは、
全くの偶然である。
生物学の産物として何か惹かれるものがあったのではと、
予測する者も居るが、
ヌルからすれば勘違いもいいところであった。
彼が惹かれたのは、
ただの廃墟でしかない古代の研究所ではなく、
その数十km先にある温泉だ。

生まれた研究所を出ることになったのは、
生物として不完全とされ、
その危険性から処分されそうになっていた矢先のこと。
偶然同時期、造り主に反逆を起こした人型機械、
ジィゾによる暴動と逃走劇の一環、
時間稼ぎの一つとして、彼は研究所から出された。
研究所、いや保育器の中しか知らなかった彼にとって、
初めての外の世界は、
新鮮や開放的等と評されるようなものではなかった。
感情をほとんど持たない彼には、みたことがない場所。
ただ、それだけのことであり、
己で己の身を守らなければならない状態では、
何時、何が起こるか知れず、危険極まりない。
保育器を出なければならなくなった己の運命に、
強い不満を感じたものだ。

何より、外の世界は寒かった。
地上での活動に併せるべく、人の形に身を変え、
追っ手からはぎ取った服を着てみたが、
寒さをしのぐにはあまり適していなかった。
今なら、体毛を生やせばよかったのだと判るが、
当時、彼は人間以外の生物をまだ見たことがなかった。
本能的にできるだけ生まれ故郷を離れようと、
絶え間なく移動し続け、どれだけ走り続けたのか、
いい加減、気が遠くなってきた頃、
それまで嗅いだことのない臭いが流れてきた。
肌に触る冷たい空気、風に絶え間なく責め立てられ、
体は温まると言うことを知らないかのように、
冷えきっており、ろくに考えることもできず、
ただ来た方向と逆だと理由だけで臭いの元を辿るうちに、
肌に当たる風がなま暖かく、時化ってきた。
更に進むと、地の底からお湯がわき出ており、
暖かさに誘われて身を沈めると、ひどく心地よかった。

研究所を出てから初めて、
保育器の中と同じ安定感を得ることができ、
この不思議な場所を大層気に入ったものの、
身を隠す場所も、餌にするようなものも見あたらず、
住むには適しているようには思えなかった。
仕方なくその場を離れ、
20kmほど先に古代の遺跡、イデルを発見した。
ほとんどがいつ崩れ落ちるともしれない、
廃屋と化しては居ても、雨風を凌ぐことに不自由はなく、
餌となる生き物も多数存在した。
ここに身を置けば、
好きなときにあの場所にも行けよう、
そのうち、あそこに住むのにいい方法も見つかるだろう。
そんな心づもりであったのに、
油断した隙に結界を張られ、出ることが出来なくなった。
飽くまで仮の居場所のつもりだった場所に、
閉じこめられたヌルからすれば完全な予定外であり、
そこが逃げてきた故郷と同じ、
生物研究所の跡地だと知って、
何を感じればいいのだろう。

幸い、イデルの住み心地も、
そう悪いものではなかった。
飢えや、雨風に悩まされることはなく、
時折訪れる人間の冒険者を除けば、
彼の身を脅かすものもなかった。
閉じこめられてしまった以上、
外へ出かけることは出来ず、退屈ではあったが、
このホムンクルスは退屈を悪しとしない。
ただ、あの温かい水の湧き出る場所へ行けない。
それだけが漠然とした不満であった。

そんな折、山羊足の魔術師と呼ばれる魔物、
カオスがやってきた。
いくつかの会話を交わした後、
魔術師が条件付きで人の目を盗み、
外へ出してくれることになったが、
ヌルにとって、特別嬉しいものでもなかった。
先に述べたとおり、
退屈は彼にとって悪いものではなかったし、
人間との協定がどうとかで、
普段、イデルにいなければならないことは変わらず、
外に出られるのは、魔王会議への出席など、
カオスの許可がある時のみ。
逆に言えば、魔術師の了解がなければ、
何処にも行けなくなったということだったからだ。
その上、カオスはなかなかヌルに付き合ってくれない。
先日人間の造った橋とやらを壊してからは、
ますます態度が厳しくなった。
以前はイデルに戻るまで、
好きなように過ごしていてもよかったのだが、
今では誰か、お目付け役と一緒でなければ、
移動も許されない。
単独で行動すると、ろくなことがないからだという。
なんだかわからないが、嫌なことだと思う。

そう、ヌルは今日も機嫌が悪かった。
いつもと同じように魔王と呼ばれる有力な魔物が集まり、
会議中ずっと、なんやかや話し合っていたが、
ヌルには関係もなければ、わかりもしない内容である。
彼に与えられた役割は、イデルの中にいることであって、
その中のことは一部の例外を除き、誰も関知しない。
このルールが変わらない限り、
外で何が起ころうとヌルの知ったことではなく、
イデルに変更がなければ、何もないのと同じであった。
長ったらしいだけの会議が終わり、
ようやく椅子の上で、
じっと固まることから解放されたと思ったら、
カオスが忙しく、イデルまで連れて帰れないと、
彼の自宅近辺で待機を言い渡された。

カオスの都合が着くまで、
適当な所で待機を言い渡されること自体はよくあるが、
待ち合わせ場所が彼の自宅ではなかったのは幸いだ。
あそこにはヌルをおもちゃだと思っている、
魔術師の養い子達が所狭しと住み着いていて、
見つかり次第、彼をいじくり回そうと集まってくる。
どんなにそれが鬱陶しくても、
一匹たりとも傷つけてはならないと、
堅く言いつけられており、破ればどうなるかは、
以前身を持って知ったので、二度と背く気になれない。
かといって、小さい手でべたべた触り捲られるのも嫌だ。
だから、お目付け役と共に、
カオスの住まいをぐるりと囲む、
黒い森の中で待っていろと言われたのは、
良いことのはずだった。

けれども、そのお目付け役が気に食わない。
今日の見張り番はカオスと養い子達の住む森、
イアールンヴィズの番犬ならぬ番狼、
ハティとスコールの双子狼だ。
ここでしか見ることの出来ない、
杉の木に似た黒葉の針葉樹ばかりの森の片隅で、
じゃれあって転げ回る二匹を見ながら、
ヌルは大きくため息をついた。
出席時は人、もしくはそれに近い姿を取るという、
会議のルールにあわせて変えた体を、
魚に似た元の姿に戻していれば、
大きく膨れ上がったところだ。

子狼達は神も滅ぼす伝説の魔物の息子らしいが、
ヌルにはただの毛玉にしか見えない。
大体、こいつ等ときたら、
定まった器も持たない半透明の霊体で、中身に至っては、
その辺にいる普通の子犬と変わりないのだ。
大したことも知らないから、話しても意味はないし、
価値観も合わない。
見張り番がいつも通り、ジィゾだったら良かったのに。
あの人型機械はいけ好かないが、
大概のことは知っていて、聞けば幾らでも教えてくれる。
あいつがいれば、カオスを待っている間、
己が知識を増やすことが出来ただろう。
少なくとも、この毛玉どもといるより、
ずっといい気分でいられたはずだ。
そんなヌルの考えを肯定するように、
泥の固まりが顔めがけて飛んできた。
むっとして顔を上げると、子狼たちがげらげら笑う。

『なあ、お前。
 なんでいつも、ふてくされてるんだ?』
『なんでこっちにきて、一緒に遊ばないんだ?』
緑の目の兄狼、ハティは前足を上げて飛び跳ね、
青い目の弟狼、スコールは頭を下げて、
挑みかかるような仕草をしてみせる。
狼達がどうしてそんなことを言うのか分からず、
ヌルは顔をしかめて言った。
『なぜ、そんなことをしなければならないのか?』
いかにも不機嫌そうに答える彼の何処がおかしいのか、
子狼達はますます笑った。
『面白いからさ。』
『飛んだり跳ねたり、
 遊ぶのは面白いからさ。』
口々に言いながら、狼達はヌルの周りをぐるぐる回る。
その間もお互いに噛みついたり、体当たりをしたりと、
全くヌルの方を向いていない。
彼らは何時だってこの調子だ。
自分達の方から話しかけておきながら、
話をする態度ではないのが実に不可解だ。
挙げ句、なんで、そんなことも分からないんだと、
定番の科白を吐かれ、ヌルはますます不機嫌になった。

『無駄に体を動かして、何の意味があるのか?』
普段なら無視するところ、
腹立たしさに任せて吐き捨てる。
何か目的があるわけでもなく、
ただ、跳ね回ったところで、
体力を消耗し、腹が減るだけだろう。
一欠片も意味がないとホムンクルスが断言すると、
双子は飛び跳ねるのをやめて、
ようやく真っ直ぐ彼の方を向いた。
『じゃあ、お前は何が面白いんだ?』
『お前は、何をするのが面白いんだ?』
自分達が面白いと思っていることを否定され、
怒っている様子はない。
半透明の霊体の中で、瞳だけがきらきらと輝いて、
ヌルの答えを待っている。
耳をピンと立たせ、
ホムンクルスがどんなことを言うのか、
興味津々といった態の子狼達に見つめられ、
ヌルは返答に困った。
こんな風に自分の意見を求められたことがない。

そもそも、面白いとは何か。
おかしいこと、楽しいこと。
楽しいこととは何か。
気持ちがいいことか。自分に良いことか。
確かにそうなのだろうけれど、ちょっと違う気がする。

悩み出したヌルに焦れたのか、
ハティが足踏みして答えを急かす。
『オレたちは、飛んだり跳ねたり、
 かけっこしたり、一緒に遊ぶと面白いぞ。』
『ボールや鹿を追いかけたり、
 穴を掘ったりするのも面白いよ。』
スコールも一緒になってあたりを跳ね回りはじめた。
そうなると、もう子狼達はじゃれあうのを止められない。
どちらからと言うこともなく、兄弟にパンチを繰り出し、
噛みついて振り回し、体当たりを噛ます。
『鹿を追っかけるのは面白い!
 穴の中のネズミや、ウサギを捕まえるのも面白い!』
『喧嘩ごっこは楽しい! 
 ブルーベリーや木イチゴを探すのも楽しい!
 でも、兄ちゃんと遊ぶのが、一番楽しい!』
きゃはははと子供特有の甲高い声を上げて、
狼達はふざけあう。
『なあ、お前はなにが楽しいんだ?』
『お前は、なにが面白いんだ?』
ヌルの周りをぐるぐる回りながら、
ハティとスコールは問いかける。

『我が、面白いのは・・・』
研究所の中でも、外でも、
面白いといえることなかった。
保育器の中は安全だが、なにもなかったし、
外の世界は暑かったり寒かったり、
危険だったり腹が減ったり、何かと不自由だ。
だが、その場さえ凌いでしまえば、
やはり、退屈だった。
理由はただ一つ。
ヌルが外の世界にその場限りの興味しか持たず、
安穏に過ごすことしか、望まなかったからだ。
彼にとって、世界はただあるだけのものであって、
自分が存在するための仕組みや理屈さえわかれば、
十分だと思っていた。
ジィゾやカオスに質問することがあっても、
その答えだけで満足していた。
理由を考えることは勿論、
自分に当てはめ、考えてみることもなかった。
ああ、確かに自分に感情はない。
その場限りの良し悪し、それだけだ。

『何が、我は楽しいのだろう?』
黙り込んだヌルの様子に、不穏なものを感じたのか、
子狼達が走り回るのを止めた。
困ったように顔を見合わせ、
ソロソロとヌルの側にやってくる。
『お前、楽しいもの、なにもないのか?』
『一緒に遊んだり、
 面白いことをする友達は、いないのか?』
友達。それはなんだろう。
小首を傾げながら、集まってきた子狼達は、
もう毛が触れ、息が当たるほど近い。
ひょいとハティが座っているヌルの膝に前足をかけ、
顔を近づけるように立ち上がり、
ぺろりとヌルの頬を舐めた。
冷たい。
子狼に近い方の手で、そっとなでるように触れると、
実体を持たない霊体のはずなのに、
柔らかい毛の感触が伝わってきた。
強いエネルギー体であるからこそ、
器のない体を感じさせることが出来るのだと、
いつだか、カオスが言っていた気がする。
だが、更に動かした腕は、
あっさりとハティの中を通り抜けた。
当たり前のことなのに、
何故かとても良くないことであるような気がして、
ヌルは目を閉じた。
怒りとも、不快とも違う、この変わった感じは、
多分、“悲しい”と言うのだろう。

困ったように、クンクン鼻を鳴らす子狼達をみて、
このままではよくないとヌルは思った。
なんだか知らないが、自分に面白いことが無いせいで、
この半透明の毛玉どもは元気がなくなったようだ。
あまり気分のいいことではない。
加えて、自分にだって一つぐらい、
楽しいことがあるはずだと思う。
さて、何かなかったかとヌルは考えて、
大事なことを思い出した。
『我は、あの場所が好きだ。
 あの温かい水の沸いている所に行くと、我は楽しい。』
ヌルが古代遺跡イデルに住むことになった理由。
あの不思議な場所に湧き出るお湯の中に身を沈めたとき、
確かに好いと思ったし、
あの感覚は楽しいと言っていいはずだ。
同時にあの場所から離れて久しいことも思いだし、
ヌルは気が沈むのを感じた。
また、あそこに行ければいいのに。

『お湯が湧き出る所って、何だ?
 お風呂のことか?』
『何で汚れてもないのに、お風呂なんか入りたいんだ?』
ヌルの言葉に、子狼達は揃って首を傾げた。
どうやら、彼らもあの場所を何というのか、
知らないようだ。
けれども、彼らは別のことを知っていた。
『お風呂より、プールの方が面白いぞ!』
『チャプチャプ、ピチャピチャ、気持ちいいぞ!』
良いことを思いついたらしい。
子狼達はキャッキャとはしゃぎながら、
再びヌルの周りを走り始めた。
グイッと、ハティがヌルの袖をくわえて引っ張る。
『お前、ついてこい!』
それを合図にするように双子の狼達は、
揃ってある方向へ走り出した。
つられてヌルも立ち上がり、その後を追う。

『遅い、遅い!』
『もっと速く、速く!』
草木の茂る森の中だというのに、狼達は速い。
まるで影が滑るように、数十m先へ行ったかと思えば、
瞬く間に戻ってきて、ヌルを急かした。
何度も追い立てられて、苛々してくる。
土台、人の体は走るのに向いていないのだ。
いつまでもこの姿でいる必要もない。
そう判断すると、ヌルは自分の体を子狼達と同じ、
四つ足の獣に変えた。
これならば、遅れることはあるまい。
一気にスピードを上げたヌルに、双子が歓声を上げる。
『速い、速い!』
『すごい、すごい!』
子狼達は大喜びし、
前になったり、後ろになったりしながらヌルを先導した。
いつの間にか隣で追走していたスコールが、
ヌルの肩に軽く噛みついて挑発し、
わざと目に付くようにスピードを上げる。
ついてこれるかと誘っているのだ。
負けるものかと、ヌルもその後を追う。
追い抜いたり、追い抜かれたり。
どれだけ走ったのだろう。
そんなことがどうでも良くなる位、全力で駆け続け、
何も考えられないが別に不快ではない。
こういうのが頭の中が真っ白になると言うのだろうと、
頭のどこかで、ヌルは考えた。

突然、森の切れ目はやってきた。
ざっと視界が開け、太陽を遮る黒い大木の代わりに、
青く澄んだ、
大きな水たまりがヌルの前に横たわっていた。
水分を含んだ爽やかな風が、
走り続けて火照った体を擽っていく。
『着いた、着いた!』
見たことのない景色に立ち尽くしたヌルの横を、
ハティが通り過ぎ、その先でスコールが呼ぶ。
『こっち、こっち!』
誘われるがまま、後へ着いていくと、
盛り上がった丘の上にやってきた。
走り続けた興奮冷めやらぬ様子で、ハティが説明する。
『ここからドブーンって、飛び込むんだ。
 面白いぞ!』

丘の際は崖になっていて、
下には青青とした水たまりが広がっている。
ここから飛び降りれば、
確かに水たまりの中に落ちるだろうが、
そんなことはやったことがない。
高さも10mほどある。
大丈夫なのだろうか。
不快とも怒りとも違う嫌な感覚が、
ヒシヒシするのに戸惑っているとハティが飛び込んだ。
器はなくとも、強いエネルギー体が叩きつけられたのだ。
水は大きな音を立てて飛び散った。
程なく浮かんできた子狼はげらげら笑う。
『ぴちゃぴちゃ、気持ちいい!』
その場で一頻りぐるぐる回る。
その様子を見ていたヌルの横を、
今度はスコールが走り抜け、
同じように大きな水音と飛沫があがる。
ブクブクと幾つもの泡とともに浮いてきた子狼は、
ヌルを誘った。
『お前も早く来い!』
げらげら笑いながら、子狼達は水の中でもじゃれあい、
岸まで泳いであがってきた。
水は霊体に張り付かず、
その必要はないのに、ブルブルッと体を振るう。

崖の下を覗いて躊躇しているヌルを、子狼達は笑った。
『怖いのか? 臆病だなあ!』
『怖くないぞ! ちょっと落ちるだけだぞ!』
からかわれて、ホムンクルスは少し眉をしかめた。
『別に、怖くはない。』
そう言ってはみたが、嫌な感覚の名前が判った。
高いところから飛び降りるだけならまだしも、
底も見えない水の中に飛び込むなど、やったことがない。
危険だと本能が告げている。
これが怖いということか。
しかし、バカにされて黙っているわけには行かない。
何度も毛玉達は同じことをしているようだし、
それならば、大丈夫なのだろう。
多分、大丈夫だ。
『それに、』
ヌルは思う。
確かに、この大きな水たまりはとても魅力的だ。
以前、身を沈めたものとは見た目も様子も大分違うが、
子狼達の様子からしても、
あのお湯溜まりと同じように心地よいだろう。
離れて久しいあの感覚と同じものが得られると、
ヌルは身震いした。
下では『早く、早く!』と、子狼達が急かしている。
相変わらず、崖の高さはヌルを脅かしたけれど、
意を決してホムンクルスは飛び込んだ。

先ほど聞いたものと同じ、高い水音がしたと思う。
ブクブクと幾つもの泡をまき散らしながら、
水はヌルの体にしがみつき、突くように刺す。
これは何だ。
あの時と全く違う。
もがけばガボガボッと不愉快な音を立てて、
喉の奥まで水は責め立ててきた。
苦しい。
だめだ、この体では水中で息ができない。
早く器を、元に戻さなければ。
いや、それより水面に顔を出すのが先か。
どうしたらいい?

怖い。誰か、助けてくれ。

バンッと激しく机を叩き、
山羊足の魔術師と呼ばれる魔物は立ち上がった。
同席していた者等が驚いて飛び上がったことも、
話し合いの真っ最中であったことも、
彼にはもう、意味がない。
どうしたのか訪ねる声に、
「帰る。」とだけ冷たく告げ、転移魔法を展開する。
空間を移動する転移魔法は非常に難しい。
移動先を固定し損ねたとき、
悪用された場合などの危険性から、
白魔導士以外の使用が禁じられているこの魔法を、
彼ほど高度に操る者はいまい。
文字道理、瞬く間にカオスの姿はその場から消えた。

「あのバカ、今度は何をやらかしやがった?」
カオスは感知能力も異常なまでに高い。
魔王と言えど、難しいことだが、
何百km先の自宅付近に残してきたホムンクルスが、
強い魔力を放ったことに、直ぐ気がついた。
だが、彼も一度に移動できる距離は基本、限られており、
全てを見通せるわけでもない。
焦る気持ちを抑え、
転移魔法を使って移動を繰り返しながら、
魔術師は現場付近の様子を探った。
3度目の移動が終わった時点で魔力が飛び散った範囲と、
自宅には大きな影響がないであろうことを把握し、
ようやく足を止め、家に残した使い魔に連絡を送る。
使い魔からは直ぐに返事がきた。
大きな振動で家具の幾つかが倒れたことと、
怯えて泣き出した子等がいる以外は、
特段目に付く被害はないらしい。
安心して一息つくと、
カオスは改めて魔力を感じたあたりを探った。
現場は自宅から50kmほど離れた湖のようだ。
ただ、様子がおかしい。

「この感じは、呪文で構成されたもんじゃねえな。」
元々、ヌルは簡易な呪文しか使用できない。
生まれ持った膨大な魔力を最大限に使うことで、
高位魔法並の威力とはなるが、
その元となるのは初歩技術ばかりで、
複雑な方式は使っていない。
だが、それにしてもカオスが感じた力には、
魔法特有の形成跡が一切感じられなかった。
となれば、
純粋に魔力を放出したに過ぎないと考えられるが、
何故、そんなことをしたのだろう。

体内を巡る魔力を使い、
周囲の物質を動かして影響を与えるには、
凝縮や形成の技術が必要だ。
魔法と言えば、言霊と呼ばれる言葉の影響力を利用し、
呪文の詠唱を用いるのが一般的ではあるが、
重要なのは如何に魔力を形成するかである。
物理攻撃を得意とする者達が、
武器に魔力を伝導させ、本来以上の威力を引き出すのも、
体内で練り込んだものを放出し攻撃に利用するのも、
魔力を用途に合わせて構築し、
望む現象を引き起こすという意味では同じものと言える。
どちらにしろ、魔力の形成が不十分であれば、
威力は減少し、まして純粋に放出するだけでは、
然したる効果は望めない。
年若く、知識や経験が足らないヌルが、
幾ら魔力の形成が下手くそだと言っても、
力任せに叩きつける様なことはしないはずだ。
一体、何があったのか。
「行ってみりゃ、分かるか。」
自問自答を繰り返しても意味はない。
百聞は一見にしかずと、魔術師は再び空を蹴った。

カオスが到着するまで、
移動を開始してから5分と経っていないだろう。
現場はひどいものだった。
ヌルに吹き飛ばされたとおぼしき湖の水位は、
大きく下がっており、周囲は水浸しだった。
森の番をしている子狼達が、
湖畔の近くでおろおろと駆け回っている。
「お前等、無事だったか。何があった?」
この二匹が無事でないことなどあるまいとは思いつつ、
急いで駆け寄った魔術師に、
飛びつかん勢いで双子たちは叫んだ。
『分かんない! 分かんない!』
『急にホムが爆発した! お水が吹っ飛んだ!』
そりゃそうなんだろうけどと、
カオスはヌルの姿を探したが、見あたらない。
「それでヌルは何処にいった?」
聞くと同時に自ら探すも、やはり引っかからない。
『分かんない! あがってこない!』
『溺れちゃった? どうしよう!』
どうやら、湖の中にいたらしい。
泣きそうな声を出しながら、
ぐるぐる駆け回る子狼達を押し退けて、
湖の中をカオスは探った。

居た。
ヌルとは思えない微弱な波動を感じ取り、
カオスは湖の上を駆けた。
ぷかりと漂っているホムンクルスを見つけ、
水の中から引きずり出す。
力を使い果たしたのだろう。
アザラシに似た原型に戻っているばかりか、
縮んで30cmほどに小さくなっている。
「どんな生き物だよ。」
悪態をつきながら背中とおぼしき部分を思い切り叩くと、
ガフッと大きな音を立てて、ヌルは水を吐いた。
そのまま、ゲフゲフと咳と呼吸を始めたのを抱き抱え、
湖岸に戻る。
すぐさま、子狼達が駆け寄ってきた。
『ホム、見つかった?』
『ホム、大丈夫か?』
腕の中のヌルをのぞき込もうと、
飛びついてくる二匹を払いのけ、
カオスはもう一度聞いた。
「一体、何があったんだ?」
問われた子狼達はお互いの顔を見合わせ、小首を傾げる。
『わかんない。』
『一緒に遊んでた。』
相変わらずの答えに舌打ちし、カオスは聞き方を変えた。
「何をして、遊んでたんだ?」
ようやく聞かれていることが分かったらしい。
ハティが尻尾を振り回しながら、得意げに答える。
『水遊びしてた!』
「水遊び?」
何故、そんなことをと眉をしかめたカオスに、
スコールも胸を張って言う。
『お風呂はいりたいって言うから、
 プールの方が面白いって教えた!
 飛び込み方、教えてやった!』
仲良く遊んでいたんだと、
自慢げに報告する子狼達に大体の状況を把握し、
カオスはますます顔を歪めて叫んだ。
「いくら暖かくなったからって、まだ6月だってのに、
 水温3℃の湖に飛び込む奴があるか、バカ!!」

ただでさえ、
イアールンヴィスは夏でも涼しい北国だ。
心臓麻痺を起こし掛けたホムンクルスが、
最初に口にしたのは、
『冷たかった。』の一言だったそうである。

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津路志士朗
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