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HPで管理するのが色々と面倒になってきたので、 とりあえず作成。

自家製パンの作り方。(後半)

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自家製パンの作り方。(後半)



上手く、膨らんでいるだろうか。
若干の不安と期待を胸に、炊飯器の前に立つ。
「開けますよ。」
そう言ったポールの声は少しかすれており、
緊張しているようだった。
そっと、彼が押した開口ボタンによって、
ゆっくりと蓋が開く。
『うっ!?』
上の部分は空いているから大丈夫だと、ポールは言った。
そう、上の部分は空いていたのだ、25分前は。
「パンパン、というか、ギッチギチですね。」
「だから、量が多いと言っただろう。」
蓋にくっつかんばかりの勢いで、
釜いっぱいに膨らんだパン生地は、
上手くいった喜びよりも不安を増長させた。
良いのか、これで。
スタンが黙ったまま、そっと指を出し、
パン生地の真ん中に突っ込んだ。
上手くいっていれば、
へそのように凹んだままになるはずだ。
指を、抜く。 
パン生地に空いた穴はそのまま変わらず、
黙って、アセナは蓋を閉じた。

「発酵は、上手くいったようだな。」
取り合えず、それは間違いない。
「これから、どうするんですか?」
「ガス抜きをして、具を混ぜて、
 改めて形を整えてから、二次発酵させる。」
今後の作業を確認して、顔を見合わせる。
「具を混ぜる、ったって。」
言葉少なかったが、スタンが言いたいことは分かった。
刻んだときは、多すぎるぐらいだと思ったが、
この膨らみようでは、具材が足らない。
「残りは後、どれだけ残っている?」
「クルミとアーモンドはありますけど、
 クランベリーはもう、ありません。」
全部使ってしまったと、ポールが情けない声を出す。
刻ざまれた赤い木の実をみて、
これだけで足りるものなのか、アセナは悩んだ。
不安を増長させるように、キィが悲しげに叫ぶ。
「クランベリーちょっとじゃ、やぁだー」
やはりか。
しかし、ないものはない。
これから買いに走るか?
その間、生地はそのままにして大丈夫なものだろうか。
分からない。
量は兎も角、折角上手く膨らんだのに、
余計な心配は増やしたくない。

「何か、代わりになるようなものは、」
ないかと呟いたアセナに、
スタンが戸棚の一つを指さした。
「そこに、クッキー用の、干しぶどうが。」
よし、それだと大人たちが頷こうとしたのに、
キィが激しく反発した。
「だめだよー! 
 おとうたんは干しぶどう、嫌いだよー!」
今回の騒動の主原因だというのに、
キィは足を踏みならして、父親を庇い、
その好みを優先させた。
カオスめ。
殆ど好き嫌いはないくせに、こう言うときだけ、
足を引っ張るような好みをしやがって。
それぞれのこめかみに血管が浮いたのが、
お互い、確認せずとも分かった。

「どうする? 他に何かあるか?」
「戸棚をもう少し探せば、
 お菓子用に買った何かが、もっとあるかも?」
「したっけ、勝手に使うと、クーさに怒られっぞ。」
「大丈夫だよ、きいたんの為だって言えば、
 クレイさんだって・・・」
「あったよー」
議論はキィに中断された。
いつの間にか台所から離れた小さい人は、
自分と同じ大きさの小棚の戸を勝手に開けると、
頭ごと手を突っ込んで、ゴソゴソしていた。
「だめだよ、きいたん!
 フェイさんのお酒棚、勝手に開けちゃ!」
慌ててポールが飛んでいき、棚から引きずり出すと、
キィは橙色のものが入った袋をつかんでいた。
「何これ? あ、あんずだ!」
「高いから、みんなにないちょねって、
 フェイお兄ちゃん、言ってたよー」
驚くポールに、キィは無邪気に言いついけた。
その得意気な様子に、スタンが肩を落とす。
「きいこ、内緒って言われたなら、黙ってねえと。」
「?」
なにか、間違ったのかなというような顔をして、
幼児は瞬きをした。
材料が足らないのを解決しようとしたことと、
内緒の約束を守らなければいけないことが、
上手く噛み合わなかったらしい。

どうするかと再びアセナとスタンは顔を見合わせたが、
ポールが力強く決断を下す。
「よし。これ、使っちゃおう!」
「でも、それ、フェイさのだし、」
驚いた様子のスタンに、ポールは噛みついた。
「いいよ、別に! 
 そりゃ、テツさんのだって言うならオレも躊躇するし、
 クルトさんのなら、悪いなって思うよ。
 でもさ、フェイさんのでしょ?
 ギルマスなんだから、
 こんな時ぐらい役に立って貰わないと!
 でないと居る意味ないよ!
 大体、きいたんの為だもん。
 きいたんとフェイさんなら、
 きいたんのが断然大事だよ!」
「まあ、なあ。」
責めるような主張に、おずおずとスタンが同意する。
ギルマスとはギルドマスターの略、
つまり、この家のボスじゃないのか。
ポールもスタンも、重要な役を受け持つ立場に見えない、
簡単に言うと下っ端っぽいのに、
こんな言い方をして、大丈夫なのか。
砂漠狼にとってボスとは、群の仲間全員の命を預かり、
狩りでも戦でも、全責任を負う一族の代表だ。
皆、その命令に絶対服従し、
ボスは仲間のために命を懸ける。
人間のに同じ価値はないのかもしれないが、
それにしても、随分な言われようだ。

価値観の違いを受け留めきれず、
渡された干しあんずを無言で刻むアセナの横で、
なおも二人はぶつぶつ言いあった。
「大体さー フェイさんは役にたたなすぎるんだよー
 いっつも、大事なことはテツさんか、
 クルトさんに任せちゃってさー」
「んだなあ。ユーリさや、クーさにも勝てねえし、
 ちぃっと、頼りねえなあ。」
良いのか、それで。
ボスがそんなで、この群は大丈夫なのか。
沸き上がる不安と違和感に耐えきれず、
人狼は何もなかったことにした。
知らない、俺は何も聞いてない。

刻み終わったあんずと用意しておいたクルミなどを、
ボールの中に入れ、アセナは再び炊飯器を開けた。
今、抱えた不安に比べれば、
パン生地が膨らみすぎていることなど、何でもない。
力一杯平手で押しつぶすと、
風船から空気が抜けるような感覚があって、
生地はあっさり潰れた。
ガスを抜くと、用意したボールに放り込み、
先ほどと同じように畳んで折るのを繰り返して、
具材を混ぜ込んでいく。
「結構、小さくなっちゃうんですね。」
「二次発酵させるから、問題ない。」
横から少し不安そうにポールが口を出したが、
アセナは意に掛けなかった。
パン生地が縮むことより、
他に心配することがあるんじゃないのか。

「あんじゅー あんじゅー あんじゅぱんー」
また、キィが変な歌を歌っている。
周りの評価は兎も角、
カオスがあれを預けるからには、ここのボスだって、
それなりに信頼の置ける奴なんだろう。
きっと、そうなんだ。
仮に違ったとしても、俺の知ったことじゃない。
半分己に言い聞かせるようにして納得し、
アセナはパン生地を整え直した。
ポールとスタンの分が加わったせいで、
3倍になったパン生地は重かったが、
何とか綺麗に丸めて、炊飯器に戻す。
蓋を閉めて、保温スイッチを押すと、
横からポールがのぞき込んだ。
「これで、出来上がりですか?」
「ああ、殆どな。」
後は先ほどと同じように、保温スイッチを入れて10分、
切ってから15分暖めて、発酵させてから焼きに入る。
手作業が終わったので、ボールを片づけ、
エプロンを外していると、ポールがまた首を傾げた。
「それにして、何で最初に発酵させた時点で、
 焼いちゃいけないんですか?」
細かく切った具材も最初の段階で入れて、
膨らんだら焼けばいいのではないか。
至極尤もな質問に、アセナは閉口した。
彼は料理人ではないし、
特別に専門知識を蓄えているでもない。
偶々、作り方を知っていたとは言え、
何時のことかも分からない古い記憶にすぎない。
言ってしまえばそれが正しいのかすら、分からないのだ。

人狼が答えに詰まっていると、誰か帰ってきたのか、
戸に取り付けられた鈴が乱暴に鳴った。
「ただいまー ああ、偉い目にあった。」
一体、どこで何をしてきたのか、
泥と砂まみれのカオスが帰ってきた。
大喜びでキィが駆け寄る。
「おとうたん、おかえりー!」
併せてポールが不満も露わに出迎える。
「もー 何処に行ってたんですか!」
「ミミットのヤハン白魔術学園までちょっとな。
 建物の壁が壊れて生き埋めになった奴がでた。」
飛びついてきた愛娘を抱きあげつつ、
答えたカオスの言葉に、ポールは飛び上がり、
スタンも目を見張った。
「生き埋めって! 大丈夫なんですか?!」
慌てふためくポールを落ち着けと制し、
カオスは続けた。
「すり傷程度の子供が3人、気絶したのが2人、
 骨折った教師が1人で済んだ。 
 死人は出てない。
 木造だったのが幸いだったな。」
「よかった。大きな被害はでなかったんですね。」
「ああ。でも、敦が戻ってきたら、
 こんな時ぐらい、実家に顔出すよう言っとけ。
 壊れた範囲は大きくなかったけどな、
 後片づけやらなんやら、まだ残ってるし。」
取り返しのつかない事態ではないとのことに、
ポールは胸をなで下ろし、腹立たしげにカオスが続ける。
「大体、あそこは古いんだよ。
 さっさと補助金出して建て直せって言ってるのに、
 政府の連中は動きが悪くて困る。」
今度、思いっ切りケツを蹴り跳ばすと、
魔術師は眉間に皺を寄せて宣言した。
魔物と人の間を繋ぐだけでも大変だろうに、
まだ、働く気らしい。

本来であればどうでも良いことだが、
聞き覚えのある地名に、アセナは耳を動かした。
「全部片づけて、こなかったのか?」
「そこまでやる義理はないなー
 元々、ミミットの連中は俺の守備範囲外だし、
 本当なら、行くべきでもなかったしな。
 でも、あそこに問題が起こると、
 結局こっちにもお鉢が回ってくるからなー
 っていうか、なんでお前がここに・・・御免。」
居るのかとは、カオスは聞かなかった。
謝罪と共に目を逸らした魔術師に、
アセナは溜息を付いた。
仮に救出作業がなくても、
時間のかかるパンを焼こうとしていたのだ。
自分との約束を忘れていたに違いない。

「アセナお兄ちゃんが、パン、焼いてくれたんだよー」
父親の失態を知らないキィが嬉しそうに報告する。
「そうなんですよ。ちゃんとお礼を言ってください!」
お陰でどれだけ助かったことか。
ポールが強く主張し、スタンも頷くのに、
抱えた娘を床に降ろしつつ、カオスは目を見張った。
「そうなの? そりゃ、手間をかけたな。」
「別に。」
それより、早く帰してくれ。
口に出さない人狼の希望を魔術師は汲み取り、
利き指をあげた。
「じゃあ、行くか。
 きいこ、お父さん、また出かけるけど、
 お前はどうする?」
「えー また、何処か行くんですか?」
キィの代わりにポールが不満の声を上げ、
カオスが肩を竦める。
「元々、こっちが先約だしな。」
「アセナお兄ちゃん、帰っちゃうの?」
これ以上、人狼を待たせられないと父親が言うのに、
ワンテンポ遅れてキィが状況を理解し、泣き声を出した。
「お兄ちゃん、かえっちゃ、やぁだー」
「そうですよ、そんな慌てて帰らなくても。」
「パン、食ってけ。」
大急ぎでキィが人狼の足にしがみつき、
ポールとスタンも口を揃えて引き留めるのに、
カオスが首を捻り、尋ねた。
「つか、パン、何処まで出来てんの?」
もう焼けているのかと聞かれ、ポールが首を振った。
「今、二次発酵に入ったところです。」
「じゃあ、これから発酵に30分、
 焼くのに1時間は掛かるな。それまで待てないだろ。」
兄ちゃんは忙しいから諦めろ。
カオスはそう言ってキィの頭を撫で、
アセナから引き剥がした。

「それに、これから竜堂の婆ちゃんのところ行くけど、
 お前はどうする? 一緒にくるか?」
「きいたん、パン焼けんのまってる。」
どうあっても人狼が帰ると分かり、
幼児は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに父親を突っぱねた。
そうかと頷くと、魔術師は右の人差し指をくるくる回し、
床を指す。
併せて、青白く光る魔法陣が形成される。
「魔法陣、作んの?」
踊るように動く魔術師の指を、目を細めて不思議そうに、
知らぬ者が見れば睨んでいると、
勘違いする面もちで眺めるスタンの前で、
魔法陣に複雑な文様が刻まれていく。
「カオスさは、そう言うの、使わねえと思ってた。」
「俺一人なら、必要ないんだけどな。
 セナが居るし、遠距離だし。
 無理する理由がなけりゃ、この方が安全で確実だ。」
勝手に人狼の名前を短縮しつつ、
カオスは指を動かし続けた。
彼であっても、凡庸な手法に頼ることがあるのかと、
スタンは納得したようだが、
それにしても刻まれていく文字が細かい。
「まさか、一回で移動するつもりじゃないだろうな。」
「そのつもりですが、何か。」
どんなに下準備をして、丁寧に魔法文字を刻み込んでも、
人間なら単独で一度に移動できる距離は、
せいぜい20kmが限度だ。
魔族の手であっても、30kmいくことはあるまい。
そしてアセナの故郷は遙か海を越えた、数千km先にある。
確かに移動魔法を使うなら魔法陣は必須だが、
その細かさに不安を覚えて尋ねてみれば案の定。
カオスの無茶ぶりにアセナは頭を抱えたが、
当の本人は自慢げに笑った。
「なんせ、これから世界の裏側まで行く予定だしな!
 これくらい、出来なくてどうする!」
常識を完全に無視したやり方に、
人狼はすっかり逆らう気をなくした。
任せるから、良いようにやってくれ。

大人しく、魔法陣が出来上がるのを待っていると、
キィがまとわりついてきた。
「お兄ちゃん、かえっちゃ、やあだ。」
寂しそうに、いじいじと頭を押しつけてくる。
帰ってしまえば、少なくとも、
何かしら理由が出来ない限り、
会えないことを知っているのだろう。
“別れる”という意味が、もう判っているのだなと、
アセナは思った。

・・・あの子は、まだ、それが理解できていなかった。
幼い頃、余りに食べるものがないため、
仲間と共に、親と離れて遠国に疎開したことがある。
そこには同じ様な年頃の子供が大勢おり、一時の間、
一緒に暮らし、同じパンを食べ、同じ布団で眠った。
別れの朝、
もう二度と会えないことを知っていた自分たちは、
泣くのを必死で我慢していたが、
小さな友達は笑いながら、手を振るばかりだった。
そう、直ぐに戻ってくるのだと疑いもせずに。
あの子らは、今、何処で何をしているのだろう。
自分が殺めた人の中に、混ざっていたりしたのだろうか。

余り、よく覚えていないが、
彼処では、色々なことを習った感覚が残っている。
パンの作り方も、その一つだったのだろう。
良くも悪くも、思い出したくなかった理由を理解して、
人狼は目を伏せた。
「よし、出来た。」
術式をすべて、刻み終わったらしい。
青白く光輝く魔法陣を前に、カオスが両手を払う。
「これ、何処まで続いているんですか?」
可能であれば、一緒についてきかねない様子で、
ポールが魔法陣の端を突っつく。
「乗りたきゃ、乗っても良いぞ!」
「その格好じゃ、来ても直ぐに、
 日差しや砂嵐にやられて火傷するぞ。」
無責任なことを言うカオスを見かねて、
アセナは制止した。
慌てて、ポールが指を引っ込め、
スタンが残念そうにため息をつく。

トレードマークの日除け帽を被り、上着を着ると、
人狼は魔法陣の前に立った。
「アセナさん、今日は本当にありがとうございました。」
「また、こい。」
愁傷な顔でポールが礼を言い、スタンも頷く。
「機会があったらな。」
そんなことはもうあるまいと思いつつ、アセナは答えた。
抱えた仕事が全て片づき、手が空いたとしても、
遊びに行くには、人の世界は騒がしすぎる。
「さて、行くか。」
のんびりとしたカオスの声に押されて、
魔法陣に足を踏み入れる。
「お兄ちゃん、また来てー! 
 ぜったい、ぜったい、きてー!」
キィが大きな声で叫ぶのを耳にしながら、
人狼はその場を後にした。

刺すような赤い夕日を感じ、
ゆっくりとアセナは目を開けた。
見慣れた村離れの景色が目にはいるのと同時に、
ぐらり、と体が揺れるのを感じる。
山羊足の魔術師の作った魔法陣であっても、
数千kmを越えるのは、体への負担が大きいようだ。
魔法酔いと呼ばれる三半規管への負荷にやられ、
人狼は額を押さえたのに、続いて飛んできた魔術師は、
平気な顔ですたすた歩いた。
「こっちくるのも久しぶりだけど、
 多少、マシになったな。」
彼の視線の先には、
ひょろひょろとしたオリーブの幼木が、
頼りなく列を作っている。
数年後、何本残っているか判らないが、
砂が舞うばかりで草一本生えていなかった頃に比べれば、
大きな進歩といえよう。
「オリーブは実が生るまで10年近く掛かるって言うけど、
 返って良いかもしれないな。」
実を生らせるよりも、まず、
根付くことにエネルギーを注いでくれる方がいい。
老人が小さな孫を眺めるように目を細め、
カオスはオリーブ畑を見渡した。
「上手くいくと良いな。」
「いかせるさ。どんなに時間が掛かっても。」
元々、ここは豊かな土地だったそうだ。
内部は夏は暑く、冬は寒いと温暖さが激しいが、
厳しい気候に負けることなく、オリーブは実をつけ、
バラは美しい花を咲かせていたらしい。
逆に海沿いは温暖で、青く輝く海からは多くの魚が、
陸ではイチジクやオレンジなど様々な果実がとれ、
食べるものに事欠かなかったという。
北の無法者が放った氷の精霊が荒れ狂ったため、
海は黒く凍り付き、大地は木々を失って乾き、
砂ばかりとなった今では、
老人の夢想としか思えない話だが、
数えてみればほんの百年ほど前の話なのだ。
どれほど困難であるかはしれないが、
取り戻せないはずがない。
「まあ、せいぜい頑張ってくれ。」
お前達の勤勉さは知っているよ。
そう、カオスは肩をすくめ、
そろそろ自分も行くと告げた。
「なあ、」
ふと思い出し、それを引き留める。

「ん?」
「パンはどうして一次だけでなく、
 二次発酵させるんだ?」
思い出したまま、人狼が口にした疑問に頷いて、
魔術師は事も無げに答えた。
「ああ。
 あれは本職の中でも意見が分かれるらしいけどな。
 簡単に言うと一次発酵の後、一旦、生地を休ませる、
 これをベンチタイムと言うんだが、
 その間に炭酸ガスが抜けるので、
 生地の間に隙間ができる。
 隙間が出来ると生地が柔らかくなるから、
 丸めたり延ばしたり、形成しやすくなるんだ。
 一次発酵は生地を作るため、
 二次発酵はパンを膨らませるためってことだな。」
「そうなのか。」
中には一次発酵しかさせないパンもあるらしい。
発酵させすぎると酸っぱくなるから難しいなどと、
聞いてもいないことまでカオスは付け加えた。
強大な力を持つが故に、
彼は他者に手を貸さない。貸せない。
だが、知恵はそれとなく貸してくれる。
それを生かすも殺すも、聞いた者が決めることだ。
結局、やるもやらないも自分次第だとアセナは頷いて、
別れを告げる魔術師に礼を言った。
「今日は助かった。」
「なんの。お互い様だよ。」
とんとん準備運動をするように軽く飛び跳ねながら、
お陰できいこが嬉しそうだったと、
カオスは屈託なく笑った。
「しかし、お前があの時のことを覚えているとはねえ。
 2歳かそこらだったって言うのに。」
肩を軽くすくめ、じゃあなと手を振って、
魔術師の姿が消える。
何をと彼は言わなかったが、
深く考えると良い思い出も悪くなってしまう気がして、
人狼はただ、耳を塞いだ。

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津路志士朗
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