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HPで管理するのが色々と面倒になってきたので、 とりあえず作成。

自家製パンの作り方。(前半)

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自家製パンの作り方。(前半)



魔王と呼ばれる魔物の一人、山羊足の魔術師こと、
カオス・シン・ゴートレッグは料理が嫌いだ。
とはいえ、別に料理が出来ないわけでも、
全くやらないわけでもない。
むしろ、長年蓄えた知識の賜か、
彼が作るものは普通に美味しい。
美味しい、のだが。

先日、スフレを作ったときには。
「わーい、スフレだー!」
「ケーキに続いて、
 今度はカボチャのスフレですか。」
「これも美味しいねえ。」
「え、いや、それはカボチャじゃ・・・うん、カボチャ。」
ならば、何故、訂正しようとしたのか。

また、ケーキを焼いたときには。
「カオスさんが、ケーキ焼いてくれたよ!」
「おとうたんがつくるのは、みんなおいしいんだよー」
「うわー スポンジがふわふわだ!」
「え? そんなはずは・・・うわ、マジだ! 何で?!
 何でこんなふわふわなんだ?」
何故、作った本人がそんなに驚いているのか。

万事こういった形で、
その場にいたものが皆、不安になる。
詳しく聞いてみれば、
カボチャが足らなかったのでジャガイモも入れたとか、
たまたま火加減が良かったらしく、
いつも以上にうまく焼けただとか、
大したことのない理由があるのだけれど、
他に言いようがなかったのかと問いたくなる言動に、
裏を感じずにはいられない。
流石、魔王の癖して人間の友人宅に居候するだけあって、
一癖も二癖もあると言ったところだろうか。

けれども、まだ小さすぎて、
そんな事情が判らない娘のキィは、
いつもニコニコして、作ってもらった物を食べる。
特にパンが大好きで、よく、作ってくれとねだっている。
お手製の特権で、市販の物とは比べ物にならないほど、
大量にベリーやクルミを入れるので、
確かに美味しいのだが、
困ったことに、これは彼しか作れない。
正確に言えば、誰も作り方を知らないわけではない。
居候先には料理上手が一人いる。
彼女ならば、作り方も知っているだろうし、
代わりもできるだろうが、
パン作りは意外と力仕事らしく、
女にやらせるものじゃないと、カオスは言う。
かといって、男どもが進んで学ぶはずもなく、
結果的にカオスしか作れないことになっている。

どちらにしろ、そんな事情は余所の者、
遠いカヴルク砂漠に住む人狼、
アセナ・ウェプアウトには全く関係のないことであって、
カオスの作る食べ物が常時怪しかろうが、
他の住人が作り方を知らなかろうが、
そんなの勝手にやってくれとしか、言いようがない。
ないのだが、運悪く巻き込まれてしまったが故に、
他人様の事情で頭を悩ます羽目に陥った。
自分のことで手一杯なのに、
何故に他人の面倒まで見なければならないのか。
年若い人狼が嘆息したとしても、誰も咎めはしまい。
むしろ、大いに同情すると思われる。

ことの始まりは、
久しぶりにアセナが魔王会議に顔を出したことからだ。
ようやく周辺国との戦争がひと段落し、
内政に尽力を傾ける余裕が出来たが、
長年放置せざるを得なかった領土は、
戦の爪痕が深く刻まれ、荒れ果てており、
仕事は山のようにあった。
遠方で仕事をしている仲間との連携や、
他種族との関係維持の為だけでなく、
自国にはない知識や技術を獲得する機会になるとは言え、
会議のために国を空けるのは、やはり大きなロスになる。
帰国にかかる日程を考え、
顔に出さずともうんざりしていた所に、
魔術師カオスに声をかけられた。
彼は彼で極東の国に用事があるらしく、
一人も二人も、使う魔力は変わらないからと、
通過点になるアセナの国へ一緒に行くことを提案された。

一瞬にして千里をかける魔術師の移動魔法は、
他が真似できる物ではない。
幾日もかかる行程が数分で終われば、
どれほど助かるだろう。
申し出をありがたく受け取り、待ち合わせる場所を決め、
時間に間に合うよう用事を済ませてきたのに、
いつまで待ってもカオスがこない。
彼が居を置いている先の住所は聞いていた。
このまま待つか、そちらに行ってみるか、
幾度も逡巡した後で、アセナは仕方なく場所を移動した。
待ち合わせ場所は人間の国で最も大きな街の中であり、
気配を隠した彼の正体に気がつく者がいなくとも、
人狼が落ち着いて知人を待てる所ではなかった。
教えられた住宅街は無尽蔵に住居が建ち並び、
入り組んでいたが、大体の場所が判れば、
目的地を見つけることは、さほど難しくない。
程なく嗅ぎなれた臭いを探り出し、
後をたどって、彼は魔術師の借家を見つけだした。
「この家で、間違いないな。」
ほんの僅かに耳を動かし、アセナは頷いた。
色々なものに入り交じってはいるが、
新旧濃く魔術師の臭いがするし、
なにより、彼の愛娘の泣き声が聞こえる。
同時にカオスの気配が、
家の中からしないことにも気がついたが、
結局、彼は呼び鈴を押した。
住人と会話をするのは気が進まないが、
カオスの居場所ぐらい聞けるだろう。

呼び鈴には、なかなか返事がなかった。
もう一度押し直して、ようやくバタバタと足音が聞こえ、
ドアが開く。
「はい、どちら様ですか?」
扉を開けたのは金髪緑眼の少年だった。
如何にも成長途中といった感じで、
大人のような図体をしながら、
子供っぽさがにじみ出ている。
その上、酷く取り乱しており、
客への対応もそっちのけで、
落ち着きなくきょろきょろと目を動かしているのが、
ますます子供っぽい。
人間の子供に自己紹介をする気になれず、
アセナは用件だけを告げた。
「ここにカオス・シン・ゴートレッグが、
 居を構えていると聞いたのだが。」
「カオスさんのお友達ですか?」
少年はますます困った様子でため息をついた。
「よわったなあ、今、留守なんですよ。」
そうらしいなと口には出さず、アセナが同意した所に、
子供の大きな泣き声が割って入った。
「いやだよう、いやだよう!」
聞いたことのある声にアセナが眉をしかめると、
少年はドアを開けたまま、慌てて中へ戻っていった。
「きいたん、お客さんがきてるから。」
泣かないでちょうだいと慰めるが、
効果は全くないらしい。
居間らしい大きな部屋の奥から、
他の住人に抱きかかえられて現れたキィは、
ぐずっては泣き、ぐずっては泣きを繰り返していた。
「おやくちょくしたよう、
 きいたん、おりこうだったよう。」
「そんなこと言ったって、仕方ねぇべ。」
キィをかかえた長身の青年を見て、
アセナが軽く眉を動かすと、向こうも気がついたらしく、
不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「誰だ、あんた。」
「カオスさんの、お友達だそうですよ。」
横から金髪の少年が口を出す。
それでも銀髪の大男は不信も露わに、
黒縁めがねの奥から青い目を光らせた。
無礼だとは思ったが、アセナは黙って彼から目を逸らせ、
一歩引いた形を取った。
カオスの縄張りで住人と揉めてもよいことはないだろう。
それとない態度を保ちながら、相手を観察する。
190cmを越す長身に、無骨な手足、気難しそうな眼鏡。
服の上からも鍛え上げられた筋肉が判る。
また、臭いが他と違う。こんなのは嗅いだことがない。
西部にすむ連中と同じく海の臭いが混ざっているが、
奴らの臭いはもっと乱雑で、快楽的だ。
こんな堅苦しさは感じない。
ひょろひょろとした金髪の方は兎も角、
これとやり合うのは面倒そうだ。

カオスの居場所を聞いたら、早々に退散しよう。
そう、アセナは考えたが、
抱っこの腕を振り払ったキィが駆け寄ってきて、
足にしがみついてきた。
「アセナお兄ちゃん! 
 おとうたんが、いないんだよう!」
言うと同時に大声で泣き出した幼児は、
すぐに足元から引きはがされた。
「きいこ、仕方ねえべ、お父さん、お仕事だもの。」
同じ言葉を繰り返して銀髪はキィを慰めたが、
金髪の方は憤りを隠せない様子で、言い募った。
「それにしたって、酷いですよ!
 きいたんをおいて、一体、何処行っちゃったんだか!」
その言葉を聞いて、アセナはますますうんざりした。
この様子だと、彼らもカオスの居場所は知らないらしい。
全く、無駄な徒労だったと耳の後ろを掻いて、
どうするかを人狼は考えた。
魔術師の気配は盆雑だから、近所にいるとしても、
見つけ出すのは容易ではない。
その上、カオスは一瞬にして千里をかける。
数百km先に移動してしまっていたら、どうしようもない。
なにより、泣いているキィが気になった。
他人の子とはいえ、見てしまったからには、
放っておくのは気が引ける。

「一体、何があったんだ?」
聞くとすぐに金髪が教えてくれた。
「カオスさんが、急に出て行っちゃったんですよ、
 きいたんをおいて!」
何か緊急事態が起こったようだ。
「よく分からないんですけど、
 大変なことが起こったとか。」
言いながら、
説明になっていないことに気がついたらしい。
金髪の少年は心底困った様子で、キィの頭を撫でた。
「お留守番しなくちゃいけないのは何時ものことですし、
 きいたんも分かってるんですけど、」
「おやくちょく、したよう、
 きいたん、おりこうだったよう。」
泣きじゃくる幼児に、そうだね、と少年は頷いた。
「此処の所、きいたんは風邪を引いてて、
 ずっと具合が悪かったんですよ。
 でも、カオスさん、一緒にいられなくて。
 だから仕事が終わったら、きいたんの好きなもの、
 何でもつくってあげるって、言ってたのに。」
確かに今回の会議は長引いた。
人間との境界線や協定内容だけではない。
如何に上が約束を守ると言っても、
それに従わない輩が実質として増えており、
魔物たちの不満が続出していた。
今後の対策、協定の見直し、違反に対するペナルティ等、
いくら話し合っても議論は満場一致とは相成らず、
まとめた結果を人間に伝えたところで、
即了承ともいかない。
間に立つカオスは、何度も双方の間を行き来し、
大層疲れた様子だった。

「ちゃんとお利口にお布団で寝てるって約束も、
 きいたん、頑張って守ったのに!
 本当に、何処行っちゃったのかなあ?」
「したって、カオスさが、きいこのこと、
 ほっとくわけねえ。なんか、理由があんだ。」
「そりゃ、そうだけどさあ。」
魔術師の仕事内容は彼らに伝えられていまい。
それでも銀髪の方はどもりながらもカオスを庇い、
金髪の少年もそれ以上魔術師を責めることはしなかった。
随分、信頼されているらしいなと、アセナは思う。
他が言うほど、
魔術師は子煩悩ではないと人狼は思っている。
むしろ、放任主義に近いはずだ。
でなければ、集めた孤児の相手をもっとしてくれと、
飼い犬たちに怒鳴られたりしていまい。
時折尋ねるカオスの本宅で、
主人が犬達に噛みつかれているのを見かけたのは、
一度や二度ではなかった。
だが、泣いている病み上がりの娘を放り出し、
自分との約束を破ってまで、勝手はしないだろう。
確かに、何か起こったに違いない。
諦めてアセナは自力で帰る算段を始め、
その間にも少年達は何とかしてキィを宥めようと試みた。

「きいたん、パンが食べたいなら、
 いつもの黄色いパン屋さんに行こうよ。」
何でも買ってあげるからと、金髪の少年は言ったが、
幼児は悲しげに首を振った。
「きいたん、おとうたんがつくってくれるのがいいよう。
 クランベリーと、くるみがはいってるのがいいよう。」
それならばと、銀髪の方が別のもので気を引こうとする。
「したら、カオスさ帰ってくるまで、待ってよ。
 絵本、読むか? 積み木にすっか?」
「きいたん、パン、たべたいよう。」
言いながら、幼児はまたエッエッと泣きじゃくり始めた。
泣いたところで、父親は帰ってこないし、
パンも食べられないのは、何となく分かっているだろう。
それでも、同じ言葉を繰り返すのは、
思い通りにならない悔しさもあるだろうが、
きっと、寂しいからに違いない。

散々、甘やかされているくせに。
そう、アセナは思おうとした。
キィは普段から当たり前のように周囲から愛され、
大人たちに代わる代わる相手をしてもらい、
美味いものを好きなときに好きなだけ食べている。
アセナが同じくらいの歳には、
親たちは戦と生きることで精一杯で、
子供らしく扱われることは疎か、
焼け付くような日差しや、
凍り付くような寒さに責められても、
守ってくれる木陰も住居もなく、
毎日気が狂いそうな飢えを噛みしめていた。
それに比べたら、多少、父親が留守がちなのが、
なんだというのか。
大体、パンごとき、騒ぐようなものではない。
こちらの国で食べるパンのことは知っている。
確かに柔らかくて、ふわふわしているが、
その分、噛みごたえがなくて食べた気がしない。
ものを乗せたり挟むにも、分厚くて食べ辛いし、
かといって、単体ではあまり味がしない。
乾けばボソボソするし、喉に引っかかる。
正直、好きではないと思う。

『だが、しかし、』
古い記憶が意識の網に掛かった。
何時だか食べたパンは、美味しかった。
こんなに美味いものがあるのかと思った覚えがある。
確か、キィが言うように干した果物と木の実が、
入っていたはずだ。
あれは、何時、何処で食べたのだったか。
遠い昔であることには間違いない。
思いだそうとして、
別の記憶も浮かび上がってきたような気がした。
あの時、俺は何処にいた?
「おとうたん、おとうたん、」
キィの泣き声が思考を遮る。
目を擦りながら父親を呼び、泣くキィは哀れだ。
カオスではないが、小さな子供が泣いているのは、
どんなに無視しようとしても、やはり良い気がしない。

誰にも気がつれない程度に息をつき、アセナは聞いた。
「代わりに作ってやるわけには、いかないのか?」
金髪の少年が、情けない顔をする。
「それが出来たら良かったんですけど。
 オレもスーさんも、作り方を知らないんですよ。」
ああ、ユーリさんかクレイさんが、
帰ってきてくれたらと、少年は嘆いた。
嘆いたところで仲間は戻ってこないし、
何の進展もないだろうに。
思うところを大きく首を振って払いのけ、
アセナは再び尋ねた。
「材料は?」
今度は銀髪の方が返事をした。
「カオスさが、出しっぱなしのが、そこに。」
彼が指さした机には、確かに小麦の袋や干した果物、
ボール等が置かれている。
魔術師は相当慌てて出ていったらしい。
材料を一つ一つ眺め、腕を組んで、
アセナはしばし考える素振りを見せたが、
意を決して頷くと、キィに目線をあわせた。
「キィ、泣いても、カオスは帰ってこない。
 それは分かるな?」
幼児は黙ったまま、鼻をすすり、目をこすった。
返事を期待していたわけではない。
アセナはそのまま続けて言った。
「そのかわり、俺がパンを作れば、
 泣くのをやめるか?」
え、と驚いた声が挙がる。
目を真ん丸くして、金髪の少年が上擦った声を出した。
「パン、作れるんですか?」
分からないと、本当は答えたかった。
だが、不安を口にしたところで何にもならない。
代わりにアセナは、こう答えた。
「作り方を、習ったことがある。」
何処で何時、どのように習ったのかも思い出せないが、
習ったはずだ。

「確か、強力粉が300g、砂糖が30g、塩が3g、
 バターが20g・・・」
大昔に食べたパンの記憶と共に、
うっすらと浮かび上がってきたそれを逃がすまいと、
人狼が奥歯を噛みしめたのを知らず、
人間の少年は手放しで喜んだ。
「パン、作ってもらえるって!
 よかったねえ、きいたん!」
「お兄ちゃん、パン、つくれんの?」
目をぱちくり、ぱちくりしながらキィが聞く。

多分、作れると思う。作れるんじゃないかな。
作れるような、気がする。
喧嘩は気合いとハッタリと先制のパンチだ。
他のことも似たようなもんだ。
料理だって、やってやれないはずがない。
仮に失敗しても、カオスが戻ってくるまで時間を稼げば、
後は奴が何とか・・・いや、そんなことは考えるな。
弱気はおくびにも出さず、
にわかに信じがたい様子の幼児に、アセナは深く頷いた。
「ああ。」
「やったあ!」
我ながら、無茶をする。
腹の中でアセナが深い後悔に沈むのを余所に、
金髪の少年は跳び上がって喜んだ。
「よかったね、きいたん!
 あ、オレ、手伝います!」
ポール・スミスですと名乗った彼に続き、
銀髪の長身も頭を下げた。
「スタン・ニーズヘッグだ。」
「スーさんは顔は怖いんですけど、
 気は優しいんで、気にしないでください!」
名乗る側から、ポールが付け加えた補足に、
スタンは憮然としたように見えたが、
実際は照れただけらしい。
「アセナ・ウェプアウトだ。」
アセナも名乗ると、
ポールはよろしくお願いしますと、もう一度頭を下げた。

こうなっては後戻りできない。
まず、このままで料理はできないので、
愛用の帽子と上着を脱ぐと、早速ポールが尋ねてきた。
「それでアセナさん、最初に何をしたらいいですか?」
何をしたらいいのだろう。
一瞬、アセナが言い淀んだ隙に、キィが口を挟んだ。
「最初はえぷろんをして、
 お手々をきれいに洗うんだよー」
普段、父親が言うのを覚えているのだろう。
理にかなった言葉に、助かったとアセナは思った。
うまくすれば、
キィはもっと色々なことを覚えているかもしれない。
「エプロンか。確か、この前、
 ユーリさんがカオスさんに作ったのがこの辺に・・・」
早速、ポールがエプロンを引っ張りだしてきて、
アセナに手渡した。
青地の布で作られたシンプルなそれを受け取り、
魔王の中の魔王、山羊足の魔術師ともあろうものが、
普段何をしているのかを考えて、
気が遠くなるのを感じたが、今の自分も大差ない。
ますます憂鬱になるのをアセナが隠している横で、
ポールとスタンはどんどん話を進めた。
「おらたちは、どうすんだ?」
「オレらの分はないし、
 ユーリさんとクレイさんの分を借りるしかないよ。」
「どっちが、どっちの、借りんだ?」
「オレよりスーさんの方が、体は大きいから、
 スーさんがクレイさんの使いなよ。」
ワイワイ騒ぎながら、彼らがエプロンをつけると、
キィが大きな声で笑いだした。
「ポールくん、お兄ちゃんなのに、
 ひらひらエプロン、おかちい!」
「しょうがないでしょ、ユーリさんのなんだから!」
泣いたカラスは何処へやら、
ポールを怒らせても、ぷぷぷと笑うキィに、
アセナは少し、気が軽くなるのを感じた。

キィは落ち着いた。後は自分がうまくやれば問題ない。
さて、次に手を洗ってと考えて、アセナは立ち止まった。
『これを忘れると大変だぞ。』
ああ、そうだ。爪を切らなければ。
「爪切りは、あるか?」
「爪切り、ですか?」
「粉をこねるからな。
 間に汚れが入っているとよくない。」
アセナの説明にポールは大きく頷いて、
爪切りを持ってきた。
それを借りて爪を切り、
案内された洗面所で手を洗いながら、
何時、聞いたともしれない言葉を思い返す。
『手を洗うときは、手のひらだけじゃなくて、
 指先と手首、後、くるぶしまで洗うんだ。』
くるぶし? 肘の間違いだろう。
こんないい加減で途切れ途切れの記憶だけで、
作ったこともないパンを本当に、
しかも異国の製法で作れるのだろうか。
暗鬱とした面もちで、手を拭いて戻ってくると、
居間に隣接したキッチンで、
ポールが小麦粉を計っている最中だった。
先ほど呟いた「強力粉300g」を覚えていたらしい。

「粉、計れましたよ。」
「粉は、ふるいにかけなきゃ、いけねえんじゃ?」
「あ、そっか。」
スタンの指摘にポールは慌てて戸棚から、
ふるいを引っ張りだしてきた。
それを見ながら、スタンが再び口を出す。
「おら達も、手、洗った方が。」
「そうだね。」
ふるいと粉の入ったボールをアセナに手渡して、
ポールは早速爪を切り、手を洗いに走った。
同じようにスタンも自身の爪を切り、
序でにキィの爪も切ってやる。
大人用の爪切りで、小さなキィの爪を切るのだから、
難しそうだが、スタンは上手にキィの爪を揃えた。
全く器用なものだ。

粉をふるいにかけ、ついでに砂糖も入れたところで、
二人の準備も終わり、
さて、これからどうするのだったかと、
アセナは記憶の隅を探った。
「後、お湯が120ccにイースト菌が・・・」
イースト菌とは、何だっただろう。
『これを使って、パンを膨らませるんだ。』
そうそう、そうだった。
「イースト菌が、粉100gに付き、2g。」
「粉は300ですから、6gですね。」
早速、ポールが該当の箱から銀色の袋を引っ張り出す。
「なんで、こんな変な袋に入ってるんだろう?」
『イースト菌は生き物だからな。
 腐らないよう真空パックで売られてるんだ。』
生き物なのに、袋の中に閉じこめられて、
息ができなくなったりしないのだろうか。
幼いときの疑問がそのまま浮かび上がってくる。
その答えは出てこないから、
多分、聞かなかったのだろう。

首を傾げるポールに、アセナはただ、次の指示を出した。
「どこかにグラム数が書いてないか?」
「あ、ほんとだ。一袋3g入りだって。」
じゃあ、二袋だねと口を開けようとするポールに、
コップを渡す。
「こっちに入れてくれ。後、砂糖も。」
「すぐ、小麦粉に混ぜないんですか?」
「先に、お湯で溶かしておいた方がいいんだ。」
記憶の中の誰かが言う。
『イースト菌は暖めると動き出すからな。
 餌の砂糖と一緒にお湯に混ぜておくんだ。』
これを予備発酵と言ったはずだ。
直接、粉に混ぜてしまってもいいはずだが、
発酵がパンを上手く焼く鍵である以上、
少しでも促進させる手を打っておいた方がいいだろう。
「砂糖は少しでいい。
 多すぎても、上手く発酵しないからな。」
「はーい。」
言われたとおり、ポールが袋を開け、
イースト菌をコップに移すと、
茶色い粉から変な臭いがした。
この臭いは、どこかで嗅いだ覚えがある。
普段口にするパンからも、似たような臭いはするが、
ここまではっきりと香った覚えはない。
本当に、どこで嗅いだのだろう。

アセナが首を傾げている間に、ポールは準備を終え、
ポットのお湯をそのまま、コップに注ぎ込もうとした。
キィが飛び上がって止める。
「あっちいの入れたらだめだよー!
 菌がしんでしまうよー!」
「え、そうなの?」
慌ててポールはポットを差し戻す。
イースト菌が死んでしまったら、発酵もなにもない。
危なかった。
やはりキィは役に立つ。
『お湯の温度は40℃程度な。
 風呂のお湯と、同じぐらいだ。』
「指を入れて、ちょうど良いぐらいにしてくれ。」
「はーい。」
別のコップにお湯と水を混ぜて、温度を調節し、
きっちり120cc計ると、
イースト菌の入ったコップに注ぎ込む。
ぐるぐるかき混ぜているうちに、茶色い粉は溶け、
強い異臭を放ち始めた。
ポールが顔をしかめる。
「変な臭いー」
「イースト菌が、うごきはじめたんだよー
 そのうち、ぶくぶく、泡をふくよー」
言いながらも、不思議そうな顔で、
キィはコップの中をのぞき込もうとした。
理屈を教えられていても、理解はできておらず、
魔法のように見えるのだろう。
まあ、こんな小さいうちから、発酵だの菌だのを、
正しく理解していても気持ちが悪い。

イースト菌がすっかり溶けたところで、
強力粉のボール、特に砂糖を入れたあたりに、
アセナはお湯をそそぎ込んだ。
そのまま手も突っ込んで、かき混ぜる。
バフッと白い煙が上がった。
ボールが小さいので、溢さないように混ぜるのが難しい。
それにお湯が足りないのか、上手く混ざらない。
もう一度、白い煙が上がったところで、
不安そうに、ポールが口を出す。
「お湯、足らないんじゃ?」
そんな気配は、激しくする。
だが、記憶が正しければ120ccで良いはずだ。
それに、あの時見ていた計量カップも、
3分の1程度しか、お湯は入っていなかったと思う。
記憶と現状との違いに、アセナが眉をしかめたところで、
キィがぽつりと呟いた。
「こなこさんは、なかなか混ざらないんだよー
 だから、大変なんだよー」
「それにしたって、バサバサだよ。」
どこからどう見ても、お湯が足りてないと、
ポールが言い、スタンも頷く。
さて、どうする。
お湯を足すか、キィと記憶を信じるか。
『お湯は入れすぎるなよ。足らなきゃ足せるし、
 これからバターも入れるんだからな。』
よし、このまま行こう。
本当に足らなければ、足せばいいのだ。

お湯と混ざり、練れて生地らしくなったところを、
粉のままの部分に押しつけて、何度もこね回していると、
少しずつ、粉の部分が減ってきた。
このままいけば、お湯を足さなくても一塊にできそうだ。
アセナの顔に自信が浮かんだのを見て、
ポールとスタンは顔を見合わせると、
ゴソゴソと別のボールに強力粉を計り、
砂糖を入れ始めた。
「なにを、やってるんだ?」
「折角ですから、
 オレらも一緒に作ってみようと思って。」
この機会に作り方を覚えるのだと力強く頷く二人に、
アセナは力が抜けていくのを感じた。
それなら、こねるのを替わってくれればいいのに。
だが、粉に砂糖を混ぜてしまった今、
止めろと言っても遅いだろう。
好きにすればいいと、放置することにする。
見捨てられたことを知らない二人は、
真面目くさった顔をして、
習った通りにイースト菌とお湯を入れ、粉をこね始めた。

べったん、べったん、べったん。
部屋の中に小麦粉の生地がボールに叩きつけられては、
はがされ、折り込まれる音が響く。
何度もこねあげられた小麦粉は、
柔らかいのに堅いという不思議な物質になった。
どうやら、上手く行ったらしいことに安堵しながら、
アセナは思った。
俺は一体、何をしてるんだろう。
早く、うちに帰らなければならないのに。
敵国に境界線が破られないよう、
警備隊を指示しなければならないし、
作ったばかりの畑も気になる。
こちらに居るなら居るで、他国の王たちと、
もっと交渉したいことがあった。
少なくとも、ここで粉をこねている場合ではないのは、
間違いないのだが。
「ぺったん、ぺったん、ぺったんこー
 こむぎのおもちがぺったんこー」
鳴り響く音と共に、キィがおかしな歌を歌っている。
「アセナさん、何時までこねてればいいんですか?」
ポールの暢気な声が耳に障った。
そんなこと、俺が知りたい。
「もう、バターを入れても大丈夫だと思うが。」
「バターですね。20gでしたっけ?」
「後、塩もひとつまみな。」
バターを用意するポールを眺め、
アセナはぼんやりと考えた。
どうして、先ほど塩を入れなかったのだろう。
むしろ、何故、塩を入れるのだったか。
イースト菌の近くに入れてはいけないのだ。
塩は発酵を妨げる。
『でも、塩を入れないと、ぼやけた味になるからな。』
そんなものなのだろうか。
必要とは思えないものにも、ちゃんと意味があるらしい。
じゃあ、今やっているパン作りにも、
何か、意味があるのだろうか。
「アセナさん、バターが堅くて、上手く混ざりません!」
「こねてるうちに、柔らかくなるだろ。」
「バタのとこが、つるつるして、くっつかねえ。」
「何度もこねてれば、また、ひとかたまりになる。」
人狼の気も知らないで、
二人、特にポールが無責任にぎゃあぎゃあ騒いだ。
カオスは何故、こんなのに娘を預けているのか。
大体、いくらキィが自分を見知っていたとはいえ、
知らない相手をあっさり家へ招き入れるなど、
こいつ等は不用心且つ暢気すぎる。
人狼の不満やいい加減な環境におかれていることなど、
全く知らず、キィは陽気に歌を歌い続けている。
「ぺったん、ぺったん、ぺったんこー」
子供椅子にちょこんと座り、
ボールを前に悪戦苦闘している大人たちを眺め、
ニコニコとご機嫌だ。

少なくとも、あれは泣くのを止めたな。
一応意味はあったと己を慰めて、
アセナは目の前のボールに集中することにした。
どのくらい、こね回したのだろう。
ようやくつるつるした油の感触がなくなり、
バターを入れる前と同じようになった。
両手で引っ張ると、ちぎれることなく、
強い弾力を持って延びる。
そのまま、手に持った部分を下側へ織り込んで、
また延ばすのを何度も繰り返し、生地を丸く形作る。
よし、できた。
「後はこれを暖かいところにおいて、
 発酵させる。」
ふんふんと頷いて、ポールが小首を傾げる。
「どうやって?」

どうやるんだっけ。
ここが一番難しいのだ。
15~50℃の中でしか、イースト菌は発酵しないが、
どうやって暖めればいい?
季節ごとの温度や湿度によっても、状況は異なる。
どうする? どうするんだっただろう。
『全く、文明の利器って言うのは便利だよなー』
そうだ、人間の世界には便利な機械が多いのだ。
「炊飯器は、あるか?」
「炊飯器、ですか?」
「ああ、その保温機能を使う。」
「へえー なるほどー」
アセナの説明にひどく感心した様子でポールは頷き、
嬉しそうに微笑んだ。
「そんな使い方もできるんですね。」
炊飯器は自分たち、人間が作ったものだろう。
そんなに驚くことなのかとアセナは呆れたが、
そんなものかと思い直した。
知っているものには当たり前でも、
知らないものには奇跡に映る。
知識というのは、そんなものだ。
『だから、うんと勉強して色々な方法を探すんだ。
 どれだけ不可能に見えても、何か、
 違うやり方があるかもしれない。』
ベストを尽くせ。
そうすれば、きっと・・・きっと、何だっただろう。
思い出せない。
これは、良い記憶なのだと思う。
だが、思い出すのが何故か辛くなってきた。
沈む心を振り払い、アセナは気を取り直した。
何時、何の記憶なのかは、今はどうでも良い。
まずは、目の前のパン生地を膨らませなければ。

ポールに教えられて開けた白い箱の中には、
黒い鉄窯が入っていた。
その中に丸めた生地を入れると、
横からそっと、ポールとスタンも手を差し入れる。
「何をやってるんだ。」
「え? だから、発酵を。」
そういえば、こいつらも別途、粉をこねていたのだった。
黒窯に入れられた三つのパン生地はくっついて、
すでに窮屈そうに見える。
「多すぎるんじゃ、ないのか。」
「したって、炊飯器、これしかねえし。」
「大丈夫。上は空いてるし、大丈夫ですよ!」
声だけは不安そうなスタンに、
ポールが大丈夫を繰り返した。
その根拠はどこからくるのか。
他にどうしようもなく、蓋を閉め、
アセナは保温ボタンを押した。

早速手持ち不沙汰になって、ポールが聞く。
「これから、どうすればいいんですか?」
「保温して10分、スイッチを切って15分放置だ。」
「時間がかかるんだなあ。」
生き物を使うのだから、仕方ないだろう。
瞬く間に膨らませろと言われても、
イースト菌だって困るに違いない。
「その間に混ぜるものを用意するぞ。」
やることはまだある。
魔術師はクルミとアーモンドに、
干したクランベリーを用意していた。
横からつまみ食いしようとするキィを叱り、
クルミとアーモンドをフライパンで火にかける。
「何で、こんなことするんですか?」
どちらもそのまま食べられるものだし、
パン生地に混ぜた後、火を通すのだから、
必要ないだろうと、ポールが首を傾げたが、
これにも理由がある。
「こうすると、香ばしさが格段に違うんだ。」
「なるほどー」
焦げ付かないように気をつけながら空炒りし、
いい匂いがしてきたところで、皿にあけて冷ます。
その間にクランベリーを包丁で適当な大きさに刻み、
冷ましたクルミとアーモンドも同じようにする。
飛び散らないように気をつけて、
砕いた木の実を皿に戻し、一息つくと、
炊飯器の前で、座り込んだスタンが目に入った。
何をやっているのだろう。
元々静かなので気がつかなかった。
「そんなにきっちり、見張ってなくても大丈夫だぞ。」
「でも、時間過ぎたら、困るし。」
変なところで細かいのか、きっぱり言ったスタンに、
目の前が暗くなったような気がして、
アセナは力なく尋ねた。
「タイマーは、ないのか?」
「あ、あります、あります!」
ちょうど10分程度たったところだったので保温を消し、
ポールが持ってきたタイマーを15分にセットする。

少し様子を見るため、
蓋を開けてみようかとも思ったが、止めた。
結果は自ずと15分後に知れる。
勧められて椅子に座り、
ポールが用意したお茶を受け取って、
アセナは深く息を付いた。
手順は、間違ってないと思う。
材料の量は正直、自信がない。
ないが、作っていて特別変なところもなかった。
なんだかんだいって、生地は一つにまとまったし、
堅すぎも、柔らかすぎもしなかった。
お湯の温度も間違えなかった。
恐らく、いけるだろう。
それにしても、こんな危ない橋は渡りたくない。
料理は科学だと誰かがいっていたし、
手順と量は重要事項のはずだ。
たまたま、作り方を知っていたとはいえ、
自分は料理が得意なわけでもない。
もっと難しい、シュークリームやら、
マカロンやらを作ってくれとねだられたのではなく、
本当によかった。
しかし、門外不出の技術ではあるまいし、
霞んだ記憶を頼りにせずとも、
パンの作り方ぐらい、調べる方法はなかったものか。
「あ、」
残った小麦粉やイースト菌を片づけていたスタンが、
袋の側面をみて、間の抜けた声をだした。
「ここに、パンの作り方、書いてある。」
「えー!?」
驚愕の声をポールがあげる。
「なんだよー! 
 はじめから、これみて作れば良かったじゃん!」
まったくだ。
よく考えれば、気軽に買って貰うため、
商品の使い方ぐらい、書いてあってもおかしくない。
何故、そんなことに気がつかなかったのかと、
自分自身に腹を立て、アセナは黙り込んだ。
だから物事は様々な角度から考えないと駄目なんだ。

「でも、おらたちじゃ、
 発酵のさせ方、分かんなかったし。」
取りなすように、スタンが言う。
「そうだねえ。」
頷いて、ポールが改めて頭を下げた。
「アセナさん、手伝ってくれて、
 本当にありがとうございました。」
「いや、礼を言われるようなことはしていない。」
別にありがたがられる為でも、恩を売るつもりでもない。
ただ、キィが泣いているのが気に入らなかっただけだ。
愛想なく、アセナが礼を固辞するのに、
ポールは困った顔をした。
これでは会話も弾むはずがなく、皆、黙ってしまう。
ただキィだけが、楽しそうに鼻歌を歌っている。
沈黙は心地よいものではなかったから、
タイマーが時間が過ぎたことを告げると、
ポールは嬉しそうに反応した。
「15分、経ちましたよ!」
いそいそと炊飯器に駆け寄る彼の後を、
キィが小躍りしながらついていき、
スタンとアセナもゆっくりと立ち上がった。

 

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